アメリカ・ノースカロライナ州にある日本人向けの牧場「グリーンウェイランチ[GREENWAY RANCH]」ブログ

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Aug

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2014

小さな命 (女王の貫録)

前置:
「小さな命(空港でのドラマ)」と「小さな命(タイミング)」に続く最終話の公開が1か月間かかってしまったことをお詫び申し上げます。
前回公開した文章を少し手直しして、続けて「小さな命(女王の貫録)」を公開させていただくことにしました。



春先というのは、どこの牧場でも大忙しの時期に入る。
仔馬の出産、繁殖牝馬の種付け、ショーシーズンの開始などで
作業をする人のリズムがテキパキと活発になる。

去年、グリーンウェイランチは、初めて繁殖牝馬の種付けを休み、
今春の出産はなかったので一息つくことができた。

ところが、日本から3人の研修生が同じような時期に訪れ、
私の生活パターンは激変した。
そのせいか、頭の中は変化に対応しようと注意散漫になっていた。

若い人たちと一緒に行動するため慌ただしさで集中力がなくなっていたのか、
作業の上でケアレスミスが出るようになった。

トラックのテールゲート(荷台の扉)を閉めないでホーストレーラーをけん引したため、
テールゲートを見るも無残な姿にしてしまったのもその一つだ。

当時、バカな自分を自責してかなりへこんでいた。
そんな状態の時に、繁殖作業を開始したので頭の中はさらに混乱の日々だった。

検査のスケジュールを追いながら牝馬を他の牧場へ何回か馬運し、
その成果が出てガナーズモールに人工授精のチャンスが訪れた。
種オスはケンタッキーの牧場に繋養されている、Rowdy Yankeeを選んでいた。

ガナーズモールを検査した人は、冷凍の精子をオーダーするかわりに
その日に採取した精子を冷やしながら飛行機で即刻取り寄せるcounter to counter という方法を選んだ。

自分の浮ついた状態を把握できていたのでよせばよかったのに、
私は空港まで精子を取りに行き、その足で牝馬が待つ牧場へ届ける役割を買って出た。
数年前に同じことをしたので楽勝だと思った。

飛行機の便は夜の9時近くに到着するため、自宅から空港まで1時間弱、
カーゴ便から荷物が出てくるのはさらに数十分の時間がかかると計算し、
ゆっくり夕食を取って8時に家を出た。

理由は不明だったが、
その晩の高速道路は交通量がかなりあって予定より遅い空港への到着となり、
空港敷地内に入ってカーゴと書いてある案内のサインを読みながら目的地へ・・・となるはずだった。

サインを追っていくと、以前の記憶とは違うクネクネと曲がる道を通り、
いざ着いたものの建物の様子も違い、
そこに立っている看板のサインを見たら「ノースカーゴ」と書いてある。

一瞬、
(エッ!ノースカーゴと書いてあるということはサウスカーゴがあるんだ。 しまった!)
と思ったとたんに頭が混乱し始めた。
前回の時は簡単に見つけられた荷物引き取りの場所なのに、なぜか迷ってしまった。

サインを見落としたのかもしれないと思い、もう一度空港の入り口まで引き返し、
サウスカーゴと書いてある字を見つけるべく、ゆっくり運転しながら今来た道を行く。
それでもサウスカーゴのサインがないので、やむおえず出発ロビーの車寄せに入って、
侵入してくる車を整理している人に道順を聞いた。

再度、空港の入り口まで引き返し、説明されたように進んだら
ようやくサウスカーゴのサインを掲げている建物にたどり着くことができほっとしたのも束の間、
今度はサウスカーゴ1、2、3と看板に書いてあるのが目に付いた。
それらは各敷地が離れているため、
今度はどこへ行ったらいいのか分からず私の頭はますますパニック状態になった。

この晩の種付け作業は人工授精をやってくれる人が競技会に出かけているため、
夜遅く50キロも離れたところから代理の人が来ることになっていた。

いつもの人なら自宅が牧場内にあるので
待ち合わせの時間のずれは許されるかもしれないが、
今回はわざわざ自分の馬1頭のために遠方から人が来るので遅れることはできなかった。

おまけに私はその人とほとんど面識がない。
荷物受取の場所を相手に電話で聞くのは気が引けたが、
たどり着いたところは空港のメインロビーの華やかさとは打って変わってあたりは薄暗く、
時間的にも遅いため人影は全くなかった。

周囲にある建物は倉庫のようなものもあり殺伐としていて、
頭の中が大事な荷物を受け取るという使命感で満たされていなかったら
怖くてすぐに立ち去りたい様な雰囲気だった。

携帯の呼出音を何回も鳴らして、録音に切り替わってしまうと思ったとき、
やっと相手が電話に出てくれた。

「クリスティー、今空港にいて、どこで荷物を受け取っていいか分からなくなってしまったの。サウスカーゴの駐車場なんだけど、案内板にはサウスカーゴ1,2,3と書いてあるし、どれに行ったらいいの。」
と質問した。

馬の社会がそうなのか、アメリカではそうなのかは分からないが、
会話は予定が分かっている相手には社交辞令的なことは話さず、
すぐに本題に入るのが常だ。

クリスティーは空港まで何回も精子を取りに来ているので、道は十分わかっていた。
ところが分かり過ぎている人の道順の説明は、分かりにくいときがある。

彼女は、
「サウスカーゴが3ヶ所になっているのは知らなかったけど、簡単よ。 カーゴの案内版からすぐ左に白い建物があるからそこを左へ曲がって・・・・・。」

私は「白い建物」の先からの会話は頭に入ってこなかった。
なぜなら白い建物は見渡すとあちこちにあって、
彼女が言う白い建物がどれなのか検討がつかなかったし、
周囲が暗くて白なのかグレーなのかも判別しにくかった。

時はすでに10時近かった。
自分の現在位置をできるだけ細かに説明したが、
クリスティーにはイメージできないようで、会話は堂々巡りになってしまう。

私は車から降りて周辺を歩き回りながら、目につくものをすべてを伝えた。
3階建ての長い建物の一番奥に警察の詰所があるようで、
そこに何代ものパトカーが駐車してあるのが目に入った。

携帯で埒の開かない会話をしながら、こうなったら詰所へ飛び込むしかない、
と思いながらそっちへ歩いて行ったとき、一台のパトカーが動きだすのが見えた。

私は思わず向かってくるパトカーのヘッドライトの方へ小走りに近づき、
手を上げて止まって欲しいというゼスチャーをした。

アメリカは銃による犯罪が多く、
そのような環境で職務をする警察官の気の張り方は日本の比ではないと思う。

運転している時に、路肩に寄せた車に向かって歩く警官が、
腰に下げた銃の方へ手を持っていくのを目撃したこともある。

夜遅く自分の車に近づく人影はたとえ女性1人であっても、
その正体が分かるまでは間違いなく怪しい人物に思われたに違いない。

私はパトカーに駆け寄りながら、
「今、ポリスに出会ったので携帯を渡すから代わりに場所を説明してくれる。」
とクリスティーに早口で伝え、車の窓を降ろしてくれた警官に携帯電話を差し出した。

「すみません。 すっかり道に迷ってしまって・・・。友人に案内をしてもらっていますがまったく見当がつきません。代わりに聞いてもらえますか。」
と恐らく私は必死の形相でまくし立てたに違いない。

私の慌てた様子が可笑しかったようで、
警官はこみあげてくる笑いを一瞬押し殺したかのように見えた。
ほんの一瞬だったが、警官はプッと吹き出しそうな表情をした。
アメリカ生活で、私が今まで見てきた警官は表情筋がないのではないかと思われるくらいいつも無表情だ。

そんな警官の人間らしい表情の変化に安心した私は、
改めて車内にパソコンみたいなのが取り付けてあり、彼がなにか入力しているのに気が付いた。
よくは分からないが、もしかしたら業務記録なのかもしれない。

私の携帯で話をしながら、警官は相変わらず無表情に、
「気にしなくていいよ。」と2回繰り返した。
クリスティーが迷惑をかけたことに対して謝っている様子だった。

そして、行先の情報を得た警官は、
「分かりました。今から彼女を誘導します。」
と言いながら携帯を私に渡し、
「車はどこに止めたの。」
と聞いた。

私は子供のように、
「あっち。」と指をさし、
「目的地まで案内するよ。」
という警官の言葉にお礼を言うと、急いで車に戻り、
パトカーの先導を受けながら目指す建物へとハンドルを握った。

その短い道中、私の心中には安堵感も生まれたが、
(あぁ・・・、なんという情けなさ・・・)
とまたもや自責の念にかられ、自分の不甲斐なさに呆れ果ててしまった。

カーゴ便で届く荷物を保管する建物まで案内してくれた警察官は、
ゆっくりとパトカーを前進させながら車から降りた私に、
「ここが目標の場所ですね。」
と確認の声をかけてくれた。

見覚えのある建物。 
一回しか来てないのに懐かしささえ感じて、私は大きく警察官に手を振り、
「はい、そうです。 どうもすみませんでした。ありがとうございます。」
と返事をした。

夜遅いため、以前来た小さなカウンターがある事務所は閉まっていて、
倉庫のような建物の奥でやっと大切な荷物を受け取ることができた。

もう、ここからは大丈夫。
重さにそぐわない大きなダンボール箱を胸に抱き車へ走った。
助手席に荷物を置いて、ガナーズモールを預けてある牧場まで帰路を急いだ。

安心したためか、外の空気が体に気持ち良く感じ、
窓を下ろして夜風を受けながら、大好きなクリスボティを耳に私は快調に車をとばした。

この夜は、満月の翌日だった。
東へI-40の高速道路を進むと、目の前にほんの少し欠けた大きな月が登り始めた。
煌煌と輝く月は、道路のカーブに合わせて左や右に地上を移動し、
時に木々や建物の裏に回って、かくれんぼをしているかのようだった。

圧巻だったのは、上り坂で月が道の真正面に鎮座する時。
その瞬間はまるで宇宙に向かって車を走らせているような感覚に陥り、
空港での騒動は夢のなかのように薄れていった。

月の神々しいともいえるエンターテインメントを楽しんだあと、
一般道路に降りて牧場へたどり着き、私はまた現実の世界へ戻された。

薄暗い敷地内にただ一つ明るく電気の灯ったブリーディング用の建物に車を付けると、
クリスティーがすでに待機していた。
私は第一声で、警察官に道順を説明するはめになってしまった彼女に詫びた。

クリスティーはあっけらかんと、
「大変だったわね。 だけど、お互いにめったにない経験をしたわね。」
と笑い飛ばしてくれた。

すでに時間は夜11時近く。
そう言ってくれたクリスティーの顔にはこの時期の忙しさからか、
疲労がうかがえ、本当に悪いことをしたと思った。

私は急いで繁殖牝馬が飼育してある厩舎からガナーズモールを引っ張り出し、
種付け作業のための枠場に入れた。

肛門のそばまで来ているボロを取り出し、
カメラを手に持って直腸からエコーで検査をしたクリスティーは一言、
「もう排卵してしまっている。」
とつぶやいた。

その言葉は、人工授精をするにはタイミングが遅かった。
ということを意味する。

月を見ながら運転していた時の気持ちの高揚は一気に水をさされ、
私の心はどっぷりと沈んでいった。

クリスティーはしばらく間をおいたあと、
「いずれにしろ精子の代金や輸送料は支払ってるわけだし、現に精子はここにある。 それを無駄にするのはバカげているから、だめもとで最後のチャンスに賭けましょう。」
と言いながら、種付け作業の準備に入った。

「普通、雌馬が排卵をするとそれから8時間くらいは受精が可能なのよ。 ガナーズモールは前日の朝に検査を受けているはずで、それからあとの経過はどうなっているのか分からない。 最悪、今日の3時以前に排卵があった場合、受精の可能性はほとんどないわね。 だけど、それ以降であればまだ希望はあるわよ。」

私は忙しく頭をめぐらせた。
前日の検査が午前8時だとして今日の3時までは30時間。
3時以降から今までは8時間。
ざっと単純に考えても、ガナーズモールの排卵は30時間の間にあった確率の方がはるかに高い。

ほとんど慰めに近いと感じたクリスティーの言葉に返す言葉も見つからず、
私は大きく落胆した。 
落胆するには、現実的な理由がいくつかあった。

ガナーズモールは今年16歳になり、繁殖牝馬としては厳しい年齢になりつつある。
私は、彼女に仔馬を産んでもらうのはあと2回だけにしようと心に決めていた。

アメリカでは、3歳でデビュー戦があるレイニングホースにとって、
6月中旬の種付けはギリギリの線だ。
この時期を逃して次の排卵まで待つのは賢明な選択ではない・・・かといって、
それを理由に今年の種付けを見送るとガナーズモールはまた歳を取ってしまう。

それに加え決して安くない種付けにかかる様々な費用。
来年に持ち越せば、支払ったものは無駄になるのだ。

色々な思いが頭の中を駆け巡っている間に、
クリスティーは精子の入った大きな注射器を2本箱から取り出した。

2本という本数は、牝馬の発情状態を見ながら、
1本は排卵が予想される日に、そしてもう1本は排卵後に使うためだ。

「もう排卵済みだから1本で十分だけど、他の1本取っておいても仕方ないし2本とも使ってしまうわよ。」
・・・と一応私の了解を得ながら、人工授精の作業を終わらせてくれた。

「2週間後に検査をして今日の結果が分かるけど、とにかくあとは間に合ったことを祈るしかないわね。」
クリスティーの言葉を聞きながら、
(本当にあとは祈るだけ・・・)
と自分に言い聞かせた。

もう運を天に任せるしかないのに、あきらめの悪い私は、
その後2週間というもの、「なぜ・・・」という思いが頭から離れなかった。

なぜもっと早い時期から繁殖の作業を始めなかったのだろう。
なぜもっと早い時間の便で荷物を送ってくれなかったのだろう。
なぜ空港で迷うようなバカなことをしたのだろう。
なぜ、なぜ・・・、と思いながら結局はまた自分を責めることになってしまった。

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小さな命 (女王の貫録)

人は誰でもその人特有の思考パターンがある。

私の場合は、些細なことでも突き詰めて考え過ぎるところがある。
早い話、諦めが悪いというか、しつこいとでもいうべきか、
いつまでもクヨクヨ考えるためストレスを溜めてしまうのだ。

毎日さらりと生きていけたら、といくたび願ったことか。
このままでは体と神経の両方を使う馬の仕事は長く続けられないとある時気付き、
数年前から自分の頭の中を変えてきた矢先のことだ。

この馬だけは、最後まで手元におこうと決めた愛馬、
ガナーズモールにまつわる出来事が起こり、
私の思考パターンは努力の甲斐なく以前のように戻ろうとしていた。

ガナーズモールは、
レイニングホースの血統に大きな功績を遺した、偉大な種馬のガナーを父とし、
母馬は、国際馬術大会でチャンピオンの座に輝いたガナーズスペシャルナイトを産んだ馬と共通の母
(サイドワインダーズドール)を持つ良血馬だ。

彼女が3歳の時、運動を任され、たまたま乗ったガナーズモールに
私はすごく惹かれるものを感じた。

小柄ながらも栃栗毛の美しい体型と、上品な顔つきをした牝馬。
その馬から伝わってくるものには、他の馬からは感じられないものがあった。

その頃、私はレイニングの血統のことには興味も知識もなく、
身近にいるガナーズモールの父、
ガナー自信も種馬としての年数が浅く頭角を現す前だった。


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(ガナーと私。2001年撮影。)


人と動物の間にも不思議な縁はある。

ガナーズモールを乗る度に “欲しい”という思いが強くなったとき、
私のレイニング競技会のデビュー戦で相棒を務めてくれたボビードウバジャーが優勝し、
絶妙なタイミングで買い手がついた。

馬を売った金額では足らず、さらに追加しなければならなかったが、
この小さな栃栗毛の牝馬を買うことに躊躇しなかったのは正解だった。
彼女は競技会で私を背に乗せ、いくつも良い成績を上げてくれた。

もし、ガナーズモールに巡り合っていなければ、
間違いなく私はアメリカで牧場を開くことはなかっただろう。
彼女は、まさにグリーンウェイランチの基礎を作ってくれた女王なのだ。


生き物に対するとき、
血筋にこだわるのは自然の摂理に反しているのではないかと感じる時もある。
けれど、馬の繁殖をするようになって血統とはすごいものだと感心するようになった。

仔馬を競技馬として育成するには、
小さい時からの扱いや、若馬になってからの調教は重要な部分だ。

しかし優れた競技馬にするには、
どんなに優秀な調教師の手にかかっても作ることのできない、
馬のすでに持って生まれた天性の才能が絶対不可欠である。

レイニングという競技が盛んになり、
馬の生産者は、レイニングの激しい動きを機敏にこなす運動能力と、
なおかつ冷静で人に従順な馬を求め続け、血を選りすぐって50年以上が経過している。

ガナーズモールは、
人為的に淘汰と交配を重ねて生まれたレイニングホースに必要なすべてを兼ね備えている、
と親バカさながら思う。

この馬から出てくる仔馬たちは、
皮膚感覚の鋭さ、従順さ、乗り心地の良さ、もの覚えの早さ、
どれをとっても秀でたものを感じるからだ。

彼女にはいつまでも元気で仔馬を産み続けて欲しいと思う。
16歳にしては背中もパンとしているし、
放牧地で他の馬と走り回っていることもたびたび見かける。

けれど、競技のパートナーとして、そして繁殖に上がってからも十分過ぎるほど、
私を助けてくれたガナーズモールに無理はさせたくないと思う。
繁殖牝馬の16歳と聞いて、人は「まだまだ、大丈夫」と言うけれど・・・。

そのような理由から、ガナーズモールにはもう2年繁殖牝馬の役目をしてもらい、
あとはのんびりと余生を過ごさせてやりたいと思った。
その大事な瀬戸際で、タイミングのずれから今年の種付けは失敗に終わるかもしれない、
という状況になってしまったのだ。

種付けから2週間後の検診まで、
私の頭の中に浮かぶ払っても、払っても消えない、
仔馬は宿らなかった、というイメージ。

このマイナスの気持ちを増長させたのには別の出来事もあった。
今春ガナーズモールと一緒に種付けを試みたもう1頭の繁殖牝馬は、
タイミングの上ですべて上手くいって仔馬は間違いなく宿ったと思われたにも関わらず失敗に終わり、
種付けを来年に見送ったためだ。

すべて成り行きに任せ、結果はあるべくして出たもの、
と楽観的に考えようとしても、どこからか悶々と湧き出る重く暗い感情で、
また自分自身を痛めつけながらやっと2週間が経過した。

その朝は、悪い結果が出ても落胆しないように、
覚悟を決めてガナーズモールを検査のための牧場へ運んだ。
馬を枠場へ入れると、クリスティーがいつもの手順でエコー用のカメラを馬の肛門へ入れて中を探る。

DSC01717.JPG


(ガナーズモールを診察中のクリスティー)


長いと感じる沈黙のあと、
「あぁー、胎児を吸収(absorb) しようとしているわ。」
とクリスティーが言ったのだ。

(えぇー!そんな・・・)
と心の中では叫んだが、ショックで言葉にならなかった。

ガナーズモールが妊娠してないのならそれはそれで諦める心境になっていたが、
せっかく受精したのに、それを「吸収」してしまうのである。

英語で absorb と言う日本語の医学用語は知らないが、
何らかの理由で牝馬が受精卵を吸収してしまう現象が起こる時がある。

クリスティーがモニターの画像を指さしたところには、
なにか形が崩れかけたものが写っていた。

でも、私には納得がいかなかった。
今まで、検査をするたびに何年かにわたり画像を一緒に見させてもらっている。
説明をしてくれる時もあるが、
そこからなにが分かるのか不思議に思うほどハッキリと判別できないこともあった。

もちろん経験不足の私に画像を見て詳しいことが分かるはずはないが、
果たして映し出されたものが受精卵でそれが吸収されつつあるというのが、
本当にこれで分かるのか疑問だった。

そう思っていたら、クリスティーも結論を出すのは早いと感じたのか、
「ちょっと待って、もう少し探ってみるわ。」
とカメラを持つ手をさらに奥に入れて詳しく診てくれた。

また長いと感じる沈黙。
クリスティーはグイグイと肩まで馬の肛門に腕を差し込んで、中を探っている。

そして、
「あぁ、あった! 妊娠しているわよ。 ほら、見て!」
とスクリーンに映し出された丸いものを指さした。

DSC01723.JPG


(円の上のポツリとある白いものが胚。)

「これがそうよ。 丸い円の上に白いものがあるでしょう。 受精して2週間たったベィビーよ。 みどり、間に合って良かったわねぇ、おめでとう! それにしても貴方も本当に偉いメア(牝馬)ね。」
とクリスティーは興奮気味にそう言うと、愛おしそうに馬のお尻を撫でてくれた。

「ほんとうに・・・、もう半分は諦めていたのよ。 この馬はいつも私を救ってくれる、すごい馬だわ。」
私はしみじみとガナーズモールから非凡なものを感じ、また不思議な自分との関係を思った。

ガナーズモールは感心するほど利口で自立心の強い馬である。
辛抱強くて用心深い。

もし、グリーンウェイランチにいる馬たちが自然の中に放っておかれ、
自分たちで水や食べるものを探し、危険から自分や仔馬の身を守り、
雨風、暑さ寒さをしのぐ場所を見つけなければならなくなった時、
彼女は間違いなくそのような環境でも生き延びられる馬だと確信できる。

13年という付き合いの中、彼女にはいつも感心させられることが多いが、
この日、私は馬運をしながらの帰路どれほどガナーズモールを誇らしく思ったことか。
心の中は安らかな至福感で一杯に満たされていた。














2014/08/23 23:23:11 | リンク用URL

Jul

17

2014

「あの時君は若かった」

もう45年くらい前に、ザ・スパイダースというグループサウンズが歌った曲のタイトルが、
見たとたんに頭に浮かんだ写真の数々。
当時流行ったヘアースタイルが時代を感じさせてなんとも笑いをさそう。

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ワシントン州で一人暮らしをしている母が身辺整理?を始めたのか、
最近自分が着られなくなった衣服などを送ってくるようになった。

おととい届いた小包には、
母が日本へ来た時、記念にとアメリカへ持ち帰った私の写真アルバムを見つけたようで、
お古の衣類と一緒に入っていた。

写真が撮影された時期はおおよそ30年前。
まだ会社員だった私は休みのたびに、
自馬化した愛馬に会いに千葉にあった乗馬クラブに通ったものだ。

一緒に写っている馬は、サラブレッドの種馬でヒリュウフドーという。
(障害飛越の写真は別の馬)

スキャン0003.jpg



ヒリュウフドーは、大井競馬場で活躍した馬だという今は亡きオーナーのお話。
父、アイオニアン最後の産駒と聞いた覚えがある。

彼は種馬にしては大人しいほうで、
私はよくこの馬を相手に遊んだものだ。

通い詰めた乗馬クラブは、馬場のすぐそばが海水浴場だったので、
水着に裸馬という普通の乗馬クラブではヒンシュクを買ってしまう格好も、
オーケーという自由な雰囲気が魅力的な場所でもあった。

スキャン0001.jpg



送られた写真と一緒に、母のメモが入っていて
「懐かしいでしょう。」
と書いてあったが、本当に懐かしい・・・、
と言いたいところだが写真の人は何回見ても自分のような気がしない。

その頃を思い返せば、なんと自由奔放というか怖い物なしの傍若無人。
本来だったら行いの数々は赤面するほど無知蒙昧なのに、
なぜか私はその頃のバカな自分に戻りたい、と思ってしまった。

何回落馬してもその怖さを克服するべく、
馬に乗りなおし、クラブから帰宅すると体にはアザや傷があるのは当たり前。
休み明けの会社では、居眠りをしてしまうほど疲れているのに、
それでも馬に乗り続けた勢いのある写真の人に、深い感慨を受けてしまう。

若さとは、身体のみならず心も頑丈で何回でも再生できるすごさがある・・・。
若い頃の激しさや強さを今も持てたら・・・、
なんて少し丸くなった今の自分と比べてしまった。

スキャン0005.jpg




追伸。

皆さん、どうか乗馬をするときはヘルメットやキャップなど頭を保護するものを着用してくださいね。
















2014/07/17 10:29:21 | リンク用URL

Jul

11

2014

本物への道〜国民性の違いから (津田綾)

今回、グリーンウェイランチに滞在中よく話題にのぼったことがある。
それは、日本人と米国人の色々な違いについて。

もう10年以上米国に住んでいるみどりさんからは、国民性の違いから米国での仕事の進め方の大変さをたくさん聞いた。
それは、笑ってしまうようなことから、「本当ですか?」と驚くことまで様々。
要するに大陸気質なので、おおまかで細かいことは気にしない、と言ったところだろうか。
だけどレイニングホースのトレーニングをするにはそんな米国人の気質がすごく合っているんだというのは感じたところだ。

感情表現がしっかりしていて、ハッキリとものを言う。
日本人はイエス・ノーがハッキリしていなかったり、相手がこちらの意図をくみ取ってくれるだろうと知らず知らずのうちに考えているところがあると思う。

馬を相手にした時に、そんな人間性がトレーニングにも現れてくる。
私の根っからの日本人気質ではなかなか馬にこちらの言わんとしていることが伝わりにくいのだ。
米国人のように日本人からすればオーバーアクションとも思えるようなジェスチャーでまずは自分をアピールすると、馬はその人に興味を持ってくれる。
トレーニング中も「これは良し」「これはダメ」がハッキリとしているので、馬には理解しやすい。

滞在中には日本の英語教育についても話題にあがったことがあった。
日本の英語教育では一番肝心な会話の部分が少なく、コミュニケーションを取るという教育がされていない。
コミュニケーションをとることは言葉の通じないところでは本当に大事なことだと思い知らされた。
どうにかして相手に自分の意図を伝えなければならない。
日本人にはそれが苦手な人が多いと思うし、私もその一人だ。
でもこれでは米国では暮らしていけない。
それが馬も同じだ。

馬とも言葉が通じないのだから何とかして、コミュニケーションを取る方法を編み出していかなくてはいけない。
自分の意図を相手に伝えコミュニケーションを取っていく方法が日本人にはあまり備わっていないと思った。
全ての日本人がこれに当てはまるとは言えないが、私は良し悪しは別として日本人の奥ゆかしさがありすぎるのだ。
馬を、特にレイニングホースをトレーニングしていくにはこういった米国人らしさがあるとより良いトレーニングが出来ると感じたのだ。
米国にいて米国の人たちと接していき、このアメリカを肌身をもって感じることでよりトレーニングのスキルがアップすると感じた。

みどりさんはいつも、日本人のマナーの良さや細かいところへの気の配り方、繊細さは日本人しか持っていない良いものだと話していた。
日本人の良いところと米国人の良いところの両方が馬のトレーニングに発揮できれば最高の馬づくりができる!
それが目指すべき目標だ。

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2014/07/11 20:01:05 | リンク用URL

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