アメリカ・ノースカロライナ州にある日本人向けの牧場「グリーンウェイランチ[GREENWAY RANCH]」ブログ

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2016

メンテナンス 11 (相思相愛)

グリーンウェイランチのブログを読んで下さる方は、
何らかの形で馬に関係していて、
心から馬が好きなのだと思います。

馬好きに感謝をしながら、
文章にするには難しい馬についての内容を、
なるべく分かりやすく書くように努力しているつもりですが、
今回のブログは少し感覚的な内容になります。

「連帯感 (メンテナンス 1)」 のブログで、
私が馬に乗る時に心がけることとして、
馬と連帯感を持つようにしているのを取りあげました。
http://www.greenway-ranch.com/blog/?id=339

連帯感は、乗馬中に馬と意思の疎通をする上で、
なくてはならない感覚だと思うからです。

今回は、私が感じる人と馬の理想的な日常の状態を取りあげてみます。
そして、その内容に一番合いそうな言葉、
「相思相愛」 を頭に浮かべながら書き進めたいと思います。

「連帯感」は主に乗馬時、人馬の間にあるべき感覚だとすると、
「相思相愛」は更に深いものを表現するような気がします。

そして、相思相愛がもたらすものは、
共通の言語を持ち合わせていない人と馬が、
共同で何かをするときに頼もしい味方になってくれます。

馬と 「連帯感」で繋がるには、
人が馬を、馬が人を慕う 「相思相愛」という気持ちが最初にあると、
意外と簡単にその状態は作り上げられるように感じます。

この言葉を動物相手に使うには無理があると感じられる方のために、
ここでいう 「相思相愛」は、
どういったものかを書いてみたいと思います。


貴方が自信をもって、
「私は馬が好きだ。」
と言えるのであれば、

今度は、
「ところで、(自分の扱う)馬は自分のことを好きだろうか。」
と想像してみて下さい。

そして、その答えが 「イエス」である場合、または 「ノー」である場合でも、
なぜそのように感じるのか、馬のどのような様子や行動を見て、
そう感じるのか考えて頂きたいのです。

私が乗馬を始めた頃の馬との接し方を思い出すと、
乗り方や御し方そのものより、
馬を理解することに心を砕いていたような記憶があります。

以前のブログで書いたように、私はひどい運動音痴で、
スポーツを楽しむという趣味はありません。

それが理由なのかは分かりませんが、
スポーツの得意な人がスポーツに臨むような感覚で乗馬をするのと比べると、
私のアプローチはだいぶ違っていました。

乗馬することに対して、肉体を使うというより、
精神(心)を使うことに重きを置いていたような感じです。
その様な馬への対応のせいか、
馬の心をつかむ事に関しては人より上手でした。

乗るのは下手くそなのに、
放牧地でつかまらない馬をつかまえることができたり、
工夫して馬に芸を教えたりしました。

35年前に入会した乗馬クラブには指導員らしき人がいなくて、
私は能動的に馬との接し方を学びました。
今思い出せばそのクラブは、乗馬を習いに来るお客さんより、
すでに馬を熟知している人が自由に乗りにくるような場所でした。

初心者は私ぐらいで、ぎこちない様子に時折、
玄人肌の来場者が助言してくれて、それを参考に馬と馴染んでいきました。

そんな日々の中、接し方で、
面白いように馬の様子が変化するのに気づいたときは、
感動したのを覚えています。 
まるで粘土のようだと思いました。

その経験は、馬を知るためには馬が 「最高の先生だ。」 
という考えを私にもたらしました。

馬は扱う人間、関わる人間を不思議なほど見事に映し出します。
自分のしたことが正解か否かは、馬の様子を見れば一目瞭然です。

馬の態度、行動のみならず乗り味にしても、
調教師が変わると、これが同じ馬かと思うほど変化します。

だから、馬をよく分かっている人は、
馬がなにか好ましくない反応をしても、
馬のせいにはしないわけです。

馬から感じるものにアンテナを張るという私のアプローチの仕方は、
乗馬をしたときも変わりませんでした。

知らず知らずの内に、馬の気持ちにフォーカスするくせがついていたので、
いざ競技になったときもその感覚が功を奏したのだと思います。

馬の気持ちが理解できるようになると、
普段の扱いや調教といった場面でも、
思いのほか良い成果を生むことができます。

結果として、人間のわずかなリードで、
馬はドンドン伸びていく(学習する)ことができるので、
安全で扱いやすく、乗りやすい馬になってくれます。

そして、そこでとても大切なのが、
馬がその人を好きでその人に心を許し、
一緒にいると安心してくれるということだと思います。

その人とは、
騎乗者であり、調教師であり、扱う人です。
馬を取り巻く全ての人のことをさします。

研修生がグリーンウェイランチを訪れたときに、
私がもっとも強調したいのはこの部分です。
この感覚を分かってもらうために、
研修生には自由に馬と親しむ機会と時間を持ってもらうようにしています。

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2016/04/10 1:03:13 | リンク用URL

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