アメリカ・ノースカロライナ州にある日本人向けの牧場「グリーンウェイランチ[GREENWAY RANCH]」ブログ

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Mar

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2016

メンテナンス 9 (もう一度原点に戻って・前)

今、私は毎日肉体を使う仕事をしています。

ただ、たまになぜこの仕事を選んでしまったのか不思議に思うほど、
子供の頃からひどい運動音痴です。

長い間、周囲の人より劣る身体能力に、コンプレックスを持ち続けたこともありました。
私の運動神経があまりにもすごいので、ちょっと書かせてもらいます。

まず、50メートルの全力疾走で10秒切ったことがありません。
水泳は、クラゲが浮いているかのごとくプカプカと、
プールのたて25メートルを泳ぐのが精一杯でした。
みんなが簡単にやってしまう、鉄棒の逆上がりは一度もできたことがありません。
バレエをかなり真剣に習っていたことがありましたが、ジャンプ力がなくて諦めました。

私は、完全な文系人間で、オリンピックすら見ないほどスポーツには興味なし。
ちなみに、体育の時間と体育祭は大嫌いでした。
それが理由で学校で半強制的にやらされた部活は、ブラスバンド部を選びました。
体育祭の時に 「演奏」 という理由で参加しないですんだからです。

ところが乗馬だけは、こんな人間なのにはまってしまったのです。

私が乗馬を始めたのは遅くて24歳の時です。
たまたま散歩していたら乗馬クラブ(ブリティッシュスタイル)の看板を見つけて、
飛び込みで馬に乗ったのが最初でした。

調馬索でレッスンを受けて、初体験の一鞍で3回落馬をしましたが、
翌週にはそこの会員になってしまいました。

その頃は会社勤めをしていて(いわゆるOL)、
収入のほとんどを乗馬のために使うほど夢中になりました。
ウィークエンドライダーとして毎週乗馬クラブに通い、
乗るだけでは物足りなくて、色々な作業も手伝いました。

会社が休みの日はいつも馬の側で過ごし、
その内、ブリティッシュの小さな大会(運動会と言った方が正しいかも))でしたが、
馬を仕事としている人を押さえて、何回かトロフィーを取れるくらいになりました。

そして、9年近く勤めた会社は、
どうしても馬の世界に身を置きたくて退職届けを出し、
馬を中心に生きる世界へとドップリ入って行きました。

そこから現在に至る25年ほどの間には、
紆余曲折があり、馬を辞め別の生き方をしようと思ったこともあります。

それでも、なぜかまた馬の世界に戻るような状況が起こるのです。
もちろん、その方向へ進むのを選択したのは自分ですが、
周囲の流れは、不思議と私を馬の方へ引っ張っていきました。


さて、運動音痴という事で自分をけなしましたが、
その後について、今度は少し自慢をさせて頂きます。

1999年の渡米後は、ずっとレイニングの世界で生きています。
2000年から2003年のあいだに、
回数少ないレイニングの競技会参加でしたが、
若い男性に混じりリミテッドオープンのクラスで
5回優勝、その他上位に何回か入ることができました。

競技に出ていた頃は、すでに40代のおばさんです。
それを、選手はほとんど男性というクラスで順位を競ったのは、
我ながらよくやった、と今は思います。

DSC01332.JPG




「Reiner」の雑誌に、トップ10で名前が載ったこともあるので、
後に、その頃の自分の成果を分かることができたのですが、
いつものことながら、私は事が過ぎてしばらくしないと、
状況を把握できないという、頭の中もかなり鈍くさい人間です。

競技会の出場は自ら進んでと言うより、
周りから押されて競技に出ていたような感じでした。

今は、競技出場をする人の手助けはしますが、
自分が出たいという気持ちはありません。
指導をしていた方が、楽しく感じます。

ただ、競技に出場することは、
馬を知る方法としては良い経験であり、
また、調教や騎乗技術の向上には非常に効果があると思います。

それに、人は目標がないとなかなか努力しないものです。

ここまでの内容だと、
まるでサクセスストーリーの自慢話をしているようですが、
次に公開する後編では、そういった意味ではないということが分かりますので、
ぜひ続けてお読み下さい。







2016/03/31 5:21:26 | リンク用URL

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